だと思います。
きっと、そうです。
大声を出すにはエネルギーが必要ですから。
どうでもいい連中にはそんなエネルギーは使いませんから。
今日はまた別の俳優達のいる稽古場へ行きました。
学生達が自分達で作っている舞台作品です。
自分達で作っているのでなかなか上手くいかない所も多々あるようで、
「稽古を見てもらえませんか?」
そう頼まれましたが、
自分と学生との間に横たわる“大人に事情”って奴に阻まれて、
自分は見てあげたかったのですがなかなか稽古場に行くことが出来ず、
今日やっと、
“忙しくて本番を見られないので、代わりに稽古を見せてもらう”
という建前で、
やっと見てあげられました、、、
といっても“大人の事情”に響かない程度にですが。。。
※こういう大人の事情ってのも、自分にとっては馬鹿馬鹿しい事この上ないのですが、社会の大人はこういう事が大事なようだから面倒くさい。そういう話は、またいつか考えたい事です。。。
ココでは怒鳴りませんでしたよ。
なぜならば・・・、
彼らは自分達の力で、
試行錯誤しながら、
苦しみながら作品に取り組んでいるから!
そういう苦しみが、
彼らの作品の存在感として作品から漂って来ているから!!
それこそ誰に作られたモノでもない、
彼ら自信が生み出す彼らの作品となり得ます。
それこそが『演劇』の正しい姿の一つでありましょう。
何かを求めて必死に考えて、
せりふを、
シーンを、
演技を考えること。
俳優として生きるという事は、
そういう事なんですよ!
そういう苦労の果てに見つけた言葉や演技が、
生きたせりふや生きた芝居になるんです。
こういう苦労を経ずに形にしただけの行為を『演技』や『演劇』だと勘違いしているモノが多すぎます。
それが自分の身近の人ならば、
コチラにその人に対する何かの気持ちがある限りは、
大声で怒ってあげましょう!!
明日もまた問題の稽古場で、
大声で怒鳴りそうな予感です。
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