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こだわりを表現する

先日映画を見ていて思ったことですが、

何気なさそうなカットが、

映画の後のほうになって、

「あぁ、ココでこういう風に、あのカットのあの画がつながってくるのか!」

という発見があると面白度がアップします。

画作りにこだわりが感じられます。

自分の作る演劇作品でも、

そういうこだわりの小芝居を、

劇中に様々な形で込めようとしていますが、

中々上手く伝わっていないようです。

極論ですが、

例えばアニメーションなどは全てが画で表される分だけ、

全てのカットが人の意識によって成されるモノだと言えます。

実写のように自然に任せる部分が少ないように思います。

だから、

そういう“こだわった”画も描きやすいかと思います。

(あくまで、アニメ業界の外側にいる者の極論的な見かたですが・・・)

対して、

ライブである演劇の場合は、

演出の細かいこだわりも全て俳優の表現にゆだねなければなりません。

俳優と演出の解釈に差異があれば、

そのこだわりは崩壊してしまう可能性が高まります。

だからといって、

俳優にロボットや人形のように、

演出の思う通りに動いて欲しいと思っているわけではありません。

そういうこだわりを共有した上で、

俳優の感性を加えたカタチでそれを表現して欲しいと思うのです。

だから、

稽古中にコチラの思いをなるべくわかりやすく伝えたいと思うのです。

演出意図などを理解して欲しいのです。

その上で、

俳優の演技意図をコチラに伝えて欲しいのです。

そういう相互理解は時間がかかります。

だから我々は稽古が終わった後にもそういう話をするために飲みに行くのです。

しかし、

そういう事~演出意図や演技意図を互いに理解しあうコト~に興味のなさそうな人がけっこう多いんですよね。。。

それでいて、

「あいつは意図を理解していないぜ。。。」

とかの愚痴をこぼす人の少なくないこと・・・。

だったらなぜ、

それを稽古場で説明しようとしないのか?

理解をし合うために手を尽くした後に、

俳優にその具体的表現を委ねるのが演出としての責任の取り方の一つだと思います。

そういう相互理解を試みないまま俳優に任せてしまうのは、

委ねるのではなく、

マル投げするコトで、

それは自分には無責任に思えます。

単語の細かい解釈には、

人それぞれのモノがありますから、

こういう例えが、

もしかしたら上手く伝わらないかもしれませんが・・・。

自分は演劇作品を作るとき、

「映画に負けたくない」

と願っています。

限定されたライブの空間にはその良さがありますが、

描きたいシーンによって具体的に背景が変わる映画の方が、

はっきりいって客観的にわかりやすいし、

わかりやすい方が、

コチラの描きたいコトの意図も伝わりやすいと思うのです。

負けたくなのは、

モノを作るときのこだわりの心や、

魂みたいなモノです。

映画の世界~特に製作サイドの事にはあまり詳しくはありませんが、

きっとこだわりとプライドをもってフィルムを作っているのだろうと思います。

しかしながら、

少なくとも自分の周りでは、

そこまでのこだわり勝負心を持って、

作品を作っていると思われる人が少ないように思える事が悔しいです。

みんな、

どこかで、

しかも、

わりと手近な所で早々に妥協してしまうのです。

だから、

演劇は映画に勝てないんじゃないかと思ってしまうのです。

まぁこういうコトは、

映画やマスコミにでもあることでしょうけどね。。。

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