電車に乗るのを待つ列にDSをしている小学生がいました。
3列に並ぶ先頭の真ん中にいた彼は、
電車のドアが開くときに両隣の人が降りる人を気遣いながら左右に開きドアの前を広く開けたのに、
DSから目を離すコト無く…降りる人がいるのを全く気にせずにササッ〜と社内に滑り込み、
その上、
後からお年をめした方が乗車して来たのも全く気にせずそのドアから一番近い空席に腰を下ろしました、、、
全くDSから目を離すコト無く。。。
彼には社会性という概念はないんでしょうか?
最近のコミュニケーションツールの進歩には目を見張るモノがあります。
現代っ子には物理的な距離感というモノはリアリティがあまりなく、
だから精神的なつながりを無意識に求めながらも、
ホントに他者とつながるコトの意味や実家がわからないから臆病になっているのだろうか?
そんなコトを考えました。
たとえ誰かと、
何かと、
機器を通してつながっていたとしても、
その子の現実的状況は一人でいる状態と変わらないのではないか?
他者と関わるというコトは、
自分の集中力が外部へと向けられてる状況であって、
携帯やゲーム機などを通してリアルに目の前にはいない人とつながるコトは、
人格形成などの見地からすればコミュニケーションとしては“弱い”のではないか?
それが当たり前な人達には何の違和感もないだろう。
しかし今日の電車で見かけたDS小学生を見ていると、
ゲーム機を屋外に持ち出すコトで、
屋内に引きこもるのではなく、
野外という社会的状況に自分をおきながら非接触的状況での他者との接続を維持するコトもまた当たり前…そういう他者との関係の接続も普通なのだろう。。。
しかし自分は、
社会性とは他者との関わりとを持つコトで実感され、
それは自分の集中力を外部へと向けていくコトで始まると感じている。
機器を介しその一点に集中力を向けた状態では、
孤独を紛らわす術に近いのではないかと感じてしまい、
よしんば今日その電車に乗っていたトキに大震災などが起こり、
同じ車内に取り残されたモノ同士が助け合わなければならなくなったトキに、
果たしてあの小学生は他者との関係を結べるのだろうか?
ちなみに、
そう感じた自分は同じ電車の中で、
耳にiPodからのイヤホンを差し込み、
隣の人に“シャカ男”と思われないかと音量を気にしつつ、
携帯の画面を見つめながら通過する駅名を気にしつつこの文章をメールに打っているのである。
あ〜ぁ、、、
ドラゴンクエスト欲しい!
でもその前にDS欲しい!!
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